<女子ハンドボール:アジア選手権>◇順位決定戦◇8日◇熊本県立総合体育館

男子から女子へ−、オーストラリア代表のハンナ・マウンシー(29)が「2度目」の世界選手権切符を手にした。オーストラリアは5位決定戦でイランに30−24と快勝し、来年11月の世界選手権(熊本)出場権を獲得した。マウンシーが来年再び熊本のコートに立てば、15年性転換前の13年男子大会に続く男女での世界選手権出場。周囲の雑音を封じるように「男でも女でも、やるのはハンドボール」と笑顔で言い切った。

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試合終了の瞬間、マウンシーは両手で顔を覆った。189センチ、99キロ、歓喜の輪の中で頭一つ飛び出す。それでも次々と仲間とハイタッチし、世界選手権出場を喜んだ。「素晴らしい。苦しかったけれど、今は最高にハッピー」。高さのあるポストプレーで3得点、守備でも強さを見せた。声は太く、笑い方も豪快。それでも、時折女性らしい柔らかな表情もみせた。

代表デビューは22歳の12年6月、世界選手権予選ニュージーランド戦だった。ポストプレーヤーとして13年世界選手権に出場し、16年リオデジャネイロオリンピック(五輪)は予選敗退。男子として戦いながらも心は女性だった。性同一性障害に悩み「女性として生きたい」と思い続けた。リオ五輪予選後に性転換し、今度は「女子で世界に」の夢ができた。

今大会直前、女子代表入りした。11月30日のカザフスタン戦で「2度目」の代表デビュー。よほどうれしかったのだろう。29日の練習では会場に流れる「ダンシング・クイーン」の曲で踊る動画を自身のツイッターに載せた。1次リーグを3位で終えると「あと2勝して世界選手権に行く」と誓いのツイートもした。

「チームメートは、みんなよくしてくれる。最高の仲間たち」とマウンシー。ただ、身体接触のある競技だけに、難しい面もある。イラン選手は「人前で男性と肌を合わせられない」と対戦を渋ったというし、国際ハンドボール連盟(IHF)も「大会後にリポートを出す」としている。本人や周囲も神経質で、日本戦後は沈黙を貫いていた。

それでも、アリー監督は「彼女は貴重な選手。すごくよかった」、同国協会のボイド会長も「もちろん、来年の世界選手権も一緒に戦ってもらう」。試合後にはマウンシーがロッカールームの歓喜を動画でツイート。さらに「女子代表」の一員として溶け込んだ喜びから避けていたミックスゾーンで喜びを口にした。

女子での世界選手権出場という夢の次には、男子で逃した五輪がある。「目の前の大会はすべて勝ちたい。東京五輪でプレーしたい」と語気を強めた。「男でも、女でも、関係はない。私はハンドボールをするだけ」。興味本位の扱われ方や言われない偏見、バッシングも増すかもしれない。それでも、そんな苦難を吹き飛ばすように笑った。【荻島弘一】

◆ハンナ・マウンシー 1989年10月21日、シドニー生まれ。サッカー、オーストラリアンフットボールなどでも活躍し、09年にキャンベラ・ハンドボールクラブ入り。12年6月の世界選手権予選で男子代表デビューし、翌13年の世界選手権スペイン大会に出場。15年のリオデジャネイロ五輪予選後に性別を変更し、女子としてオーストラリアンフットボール、ハンドボールで活躍する。189センチ、99キロ。

◆ハンドボール女子世界選手権 1957年に第1回が行われ、現在は2年に1回開催。19年大会は11月30日〜12月15日に熊本で24カ国が参加する。開催国の日本、前回優勝フランス、中南米からブラジルとアルゼンチン、アジア選手権で日本を除く上位3カ国(韓国、中国、カザフスタン)が出場決定。オセアニア予選はアジア選手権で行われ5位以内なら出場決定、6位以下なら出場枠が他地域に回った。優勝で20年東京五輪出場権が与えられる。

◆国際オリンピック委員会(IOC)は14年にオリンピック憲章を改訂し、LGBTなど性的少数者への差別撤廃を明記。性的指向による差別が禁止された。米CNNが人権団体の調べで16年リオ五輪には少なくとも過去最多の41人の性的少数者が出場したと報じるなど、性的指向による差別は少なくなりつつある。

IOCはの04年アテネ大会前に性別適合(性転換)手術を受けたT(トランスジェンダー)に出場資格を与えることを決めた。男子から女子へは「性別適合手術を受けている」「テストステロン(男性ホルモンの一種)が2年間基準値以下である」ことが条件だったが、15年にはこれを緩和。手術の有無を問わず、ホルモン検査の期間も過去1年間に短縮された。